愛の一致のしるしとしての結婚
愛における一致のしるしとしての結婚
皆様にお話ししたいテーマは、「愛における一致のしるしとしての結婚」です。『カトリック教会のカテキズム』1601項には、男と女の間の婚姻の絆は、イエス・キリストによって「秘跡(サクラメント)」の尊厳へと高められたと記されています。つまり、イエスが結婚をゼロから創り出したわけではないということです。聖体、洗礼、叙階などの他の秘跡とは異なり、結婚はそれ以前から存在していました。イエスは、すでに存在していた結婚を秘跡の尊厳へと高められたのです。
したがって、結婚は人間の法律や特定の国の掟によって始まったものではありません。結婚は「自然法」によるものです。一部の人が言うようなユダヤ・キリスト教による創作ではなく、自然法に書き込まれているのです。なぜなら、神は愛であり、三位一体の愛の契約そのものであり、私たちを神の似姿として創造されたからです。それは私たちの「霊的なDNA」に刻まれています。さらに神は、男と女を相補的なものとして造り、二人の間に自然な惹かれ合い(恋心)を置かれました。これは本性によるものです。そして、この男女の結びつきは、安定したものであること、そして社会的な帰結を伴うことが求められています。俗に言うなら、結婚は「工場出荷時からの仕様」、つまり創造の時から備わっているものなのです。
では、もし結婚がもともと自然法によるものであるなら、なぜイエス・キリストはそれを秘跡の尊厳にまで高める必要があったのでしょうか? それは、男と女の婚姻の契約が、罪によって歪められ、ぼやけてしまったからです。旧約聖書のいくつかのページをめくると、私たちは困惑することがあります。信仰の父であるアブラハムでさえ、妻が不妊であったために女奴隷との間に子をもうけました。「一体それは何なのか」と私たちは驚きます。旧約聖書のこうした記述は、結婚に関する神の自然なご計画が、罪の影響でいかに変形していったかを物語っています。
かつての聖人と思われる人々において、なぜこれほど衝撃的な逸脱が見られるのでしょうか。それは、原罪の後、人類の罪の歴史の中で、キリストの恵みなしには自然法を生き抜くことが不可能だからです。私はよくチェスタトンを引用しますが、彼の大好きな言葉にこうあります。「超自然的なものを取り去れば、後に残るのは自然なものではなく、不自然なものである」。つまり、キリストの恵みがなければ、私たちは自然なことさえ全うできず、不自然なものへと転落してしまうのです。これは現代の結婚においても見られることです。だからこそ、神の創造のご計画を生きるために、キリストによって立てられた秘跡が必要なのです。
結婚の秘跡は恵みを与えます。それは単に男女の団結を「象徴」するだけでなく、それを「実現」させます。それは愛における決定的な一致のしるしです。イエス・キリストは結婚における罪の傷を癒やし、私たち全員に「婚姻的召命」があることを示されました。これは司祭も同様です。司教が指にはめている指輪は、キリストと教会の婚姻のしるしです。司教は自分の教区と、教会と結婚しているのです。私たちは皆、洗礼によってキリストとの婚姻的な結びつきを持っており、独身者も奉献生活者も、誰もがこの婚姻的召命を持っています。
イエスはこの傷をどのように癒やされたのでしょうか。それは、ご自身が教会と結ばれることによってでした。結婚の儀式では「キリストが教会を愛したように、妻を愛しますか」と問われます。キリストが教会と結ばれたことで、結婚は再生されました。なぜなら、結婚はキリストが教会に尽くされた姿の「似姿」となったからです。福音書の中でイエスは何度も「花婿」と呼ばれています。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客が断食できるだろうか」という一節もあります。私たち弟子は皆、花婿であるイエスを見つめるよう招かれています。キリストは全人類と結ばれたのです。
さて、次にキリストが秘跡にまで高められた結婚の3つの特徴についてお話しします。第一に「統一性(一つであること)」、つまり完全な忠実さをもたらす一致。第二に「解消不可能性」、つまり離婚できないこと。第三に「生命への開放性」、新しい命を伝えることです。この三つ目の点については、今回は詳しく触れず、ニューヨークでの講話に残しておきます。今は、一致、忠実、そして解消不可能性に焦点を当てます。
第二バチカン公会議とカテキズムは、結婚を「生命と愛の共同体」と呼んでいます。そこでは夫婦が互いに「自己の全的な贈り物」となります。自分の人生、持ち物、存在、感情のすべてを捧げるのです。この全的な自己供与は、完全な一致を必要とします。「もはや二人ではなく、一人の体である」のです。これが婚姻性であり、すべてを共有することです。
例えば、誰かが「私のことを愛している?」と聞くとき、その人が母親や友人を愛していることも分かっています。しかし「私を」と聞くとき、それは心の中に分割できない部分があり、それを自分にだけ捧げてくれるかを問うているのです。結婚とは、心のその分割できない部分を夫や妻に捧げ、愛の完全な献身の中で一つの生命となることです。
ここで少し余談を許してください。キリスト教の啓示が、歴史を通じていかに女性の尊厳を守ってきたかにお気づきでしょうか。例えば、キリスト教が一夫多妻制を否定したことは、女性の尊厳に対する最大の支持でした。もし男が5人の妻を持てるなら、そこに女性の尊厳はあるでしょうか。結婚が二人の人間の結びつきであり、一夫多妻が不自然で不道徳であるとすることは、女性の尊厳を守ることなのです。また、イエスが妻を離縁(離婚)することを禁じたことも同様です。離縁して別の女性と結婚する者は姦淫の罪を犯す、という教えは、間違いなく女性の尊厳を守ってきました。
しかし皮肉なことに、現代の文化的な退行の中で、「ポリアモリー(複数愛)」が進歩的であるかのように主張されています。とんでもないことです。ポリアモリーは女性の尊厳、男性の尊厳、そして何より子供たちの尊厳を損なうものです。結婚の統一性、忠実さ、解消不可能性は、人間の心に備わった自然なものです。
その証拠を一つ挙げましょう。ニューヨークのブルックリン橋など、世界各地で見られる光景です。多くのカップルが南京錠を柵にかけ、名前を書き、鍵を川に投げ捨てます。彼らに誰が教えたのでしょうか? キリスト教徒でない人もいるでしょう。しかし、彼らは自然にそのしるしを行います。「一人の人と、永遠に、死が二人を分かつまで」という願い。これこそ、イエスが教えられたことそのものです。「君を愛している、でもいつまで続くかは分からない」なんて、それは本当の愛ではありません。「心を尽くして」という言葉には「永遠」が含まれているからです。だからこそ、一致、忠実、解消不可能性は人間の本性に根ざしているのです。
もちろん、それが簡単だと言っているわけではありません。私たちの弱さや罪の影響で、忠実さを保つことや解消不可能性を守ることは困難に感じることもあります。愛は日々再発見され、新しくされなければなりません。だからこそ、私たちはキリストの恵みを求めなければならないのです。
ここからは話の角度を変えて、結婚の一致と解消不可能性を守るための「10の具体的なアドバイス(十戒)」をお伝えします。
1. 子育てのために結婚生活を後回しにしないこと
子育ては非常に過酷で、子供たちがすべてを吸収してしまいます。すると、夫婦のケアが二の次、三の次になりがちです。これは大きなリスクです。何よりもまず結婚生活が第一でなければなりません。相談所に来る危機の多くはここから始まります。子供が必要としているのは「スーパーパパ」や「スーパーママ」ではなく、「愛し合っているパパとママ」です。子供に愛し方を教える最高の教科書は、父親が母親をどう愛しているかを示す背中です。
2. 「アラス(祝言の硬貨)」のしるしを真に信じること
結婚式で行われる「アラス」の儀式(コインを交換する習慣)は、「私のものはあなたのもの、あなたのものは私のもの」という意味です。これを形式だけにしないでください。「これはパパの友人、これはママの口座」というように、生活を完全に切り離すのは危険です。聖書には「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」とあります。宝が別々なら、心も別々になります。
3. 信頼し、相談して決断すること
配偶者に相談せずに物事を決めることは、相手の自尊心を傷つけ、信頼を損ないます。自分一人で決められるという高慢さを捨て、二人で識別(判断)することを学んでください。「二人の目より四人の目の方がよく見える」と言いますが、夫婦ならなおさらです。神の霊がそこに働いているからです。
4. 批判的な傾向と戦うこと
相手を裁き、常に不平を言うのではなく、励ましの言葉をかけてください。世の中には「解決策の中に問題を見つける人」と「問題の中に解決策を見つける人」がいます。常に否定的なコメントを浴びせることは、夫婦の土壌を侵食します。相手の欠点も含めて、今の配偶者は神があなたの聖化(成長)のために隣に置かれた人であると信じてください。
5. まず相手を受け入れることから始めること
「相手が変わったら愛そう」というのは間違いです。ありのままの相手を愛することこそが、相手が変わる唯一の可能性なのです。スペインの皮肉な格言に「女は男が変わることを期待して結婚するが変わらない。男は女が変わらないことを期待して結婚するが変わる」というのがあります。まずは受け入れ、神に捧げ、自己批判をし、神の時に信頼して共に歩むことです。
6. 赦しの賜物
幸せな家族とは「二人の偉大な『赦す人』」で構成されています。いつまでも過去の傷を蒸し返したり、恨みを帳簿につけたりしてはいけません。それは結婚の墓場を掘るようなものです。私の恩師はこう言いました。「家族が壊れないためには、少なくとも一人の『愚か者(自分を忘れて譲れる人)』が必要だ。そして家族が幸せであるためには、全員が『愚か者』でなければならない」。
7. 心を守ること(感情の管理)
誰もが誘惑に対して安全ではありません。仕事場やSNSでのちょっとした交流から生まれる感情が、夫婦の忠実さを脅かすことがあります。不適切な感情が芽生えたら、すぐに断ち切る誠実さを持ってください。スマホのメッセージ一つでも、一線を越えそうなら「火を消す」必要があります。心と感情はケアされなければなりません。
8. 感情よりも「コミットメント(意志)」に重きを置くこと
イグナチオ・デ・ロヨラは「愛は言葉よりも行いに現れる」と言いました。愛を単なるロマンチックな「感情」と混同してはいけません。感情は移ろいやすいものです。ロマンチックな神話は「愛に縛りはない、感情に従うべきだ」と言いますが、それは嘘です。真実の愛はコミットメント(約束)を恐れません。南京錠のように自らを繋ぎ、鍵を捨てる勇気が愛にはあるのです。
9. 純潔(貞潔)を生きること
心の中での性的ファンタジーやポルノグラフィは、結婚に対する不忠実の始まりです。イエスは「情欲を抱いて女を見る者は、心の中ですでに姦淫したのである」と言われました。現代、ポルノグラフィは結婚に甚大な被害を与えています。それはデジタルの遊びではなく、実在する人々の搾取に関担することです。子供たちにスマホを買い与える際も、この危険に対して非常に批判的で厳格であるべきです。
10. 「プランB」を持たないこと
「もしダメだったら別れればいい」という退路(脱出戦略)を頭の中に持たないでください。失敗の可能性を想定すること自体が、結婚を毒します。うまくいく家族は問題がない家族ではなく、コミットメントを疑わない家族です。
「退路を断つ(船を焼く)」という言葉があります。アレクサンダー大王やエルナン・コルテスが上陸した際、兵士たちが逃げ出さないように自らの船を焼いたエピソードです。勝つか死ぬか。結婚も同じです。「十字架のない人生」を夢見て別の相手を探しても、そこにはまた別の十字架があります。統計的にも、再婚者の離婚率は初婚者より高いのです。問題は自分の内側にあるからです。
愛する兄弟姉妹の皆様、これらが結婚の一致と忠実さを守るための10のアドバイスです。何度もキリストのもとに戻り、恵みを乞う物乞いになりましょう。私たちの力だけでは不可能ですが、主はこの結びつきを秘跡に高め、聖霊の賜物を与えてくださいました。キリスト教の結婚は「二人」でするものではなく「三人」でするものです。キリストがそこにおられ、共に歩んでくださるからです。
父と子と聖霊に栄光がありますように。
初めのように、今も、いつも、世々に至るまで。アーメン。